アヤムセマニの神話

アヤム・セマニ Ayam Cemani
(インドネシア等の文献より抜粋の為、科学的根拠等が無い物も混じっています。あくまで神話によるものです)

アヤム・セマニの歴史と起源
アヤム・セマニは、マジャパヒト王国※1の時代に有名で、富と繁栄の王の象徴でした。
当時のアヤム・セマニの最初の所有者は、Ki Ageng Mangkuhanという名前の呪術者でした。

ある日、Ki Ageng MangkuhanがKedu地域の神聖な墓に投獄されました。
Ki Ageng Mangkuhanは、Panembahan Hargo Pikukuhの息子であるLintang Katonをアヤム・セマニの肉を使用し治療する事ができました。
それ以来、Ki Ageng Panembahanのアヤム・セマニは癒しのシンボルになりました。
そして、この信念は今でも信じられています。

ただし、Ki Ageng Mangkuhanのアヤム・セマニは完全な黒ではなく、くちばしは白でした。
元のアヤム・セマニは、体の色が100%の漆黒ではありません。
また、鶏肉の一部も黒ではありません。
アヤム・セマニの卵は白く、胚が形成されると胚に黒い色が現れます。
この鶏は幸運をもたらし、財産を受け継ぎ、成功を助けると信じられています。
そして、アヤム・セマニは漆黒のメスの鶏と交配され、真っ黒なニワトリを産みました。
アヤム・セマニの体のサイズは、他の在来のニワトリに比べて大きいです。
アヤム・セマニの高さは約60 cm、胸囲は34 cm、翼の長さは25 cmです。

※1マジャパヒト王国(マジャパヒトおうこく、Kerajaan Majapahit)は、1293年から1478年までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国。最盛期にはインドネシア諸島全域とマレー半島まで勢力下に置いたとの説があるが一方で、実際にはジャワ島中東部を支配したにすぎないとする説もある。なお、表記に「マジャパイト」と書くこともある。綴りは”Majapahit”であるが、ジャワ語では、h音を発音しないからである。

多分、「王の息子の様な人を、牢屋に入れられていた呪術者がセマニの肉を食べさせて治療した」と言う事だと思います。
呪術者は、人々に信頼されていたが、呪術の様な訳の分からない物で不安や不信をあおられ投獄されていたのではないでしょうか?
しかし、息子の病気を治したいと言う藁をもすがる思いで、呪術者に託したのだと思います。

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